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2-16 思い出

***16***

玄関でキミカを見送った後、朝子はのろのろと紅茶のカップやカステラを片付けた。

“子供が大切だもの。そういうもんよ?!”

ふと、カップを洗う手が止まった。

半分はそうね。もう半分は、あいつのため。

朝子はカップを洗い終えると、コーヒーを沸かし始めた。

あいつにはもっと若くて可愛げのある、独身の子の方が似合うわ。

朝子はカップに注がれる綺麗な液体を見つめた。

・・・もう2週間以上経つじゃない。

なのに・・・今でも愛しさで、胸が詰まりそう。

つらい。

苦しい。

想いを押し隠し生きていても、その感情は消える事がなくて、ふとした瞬間溢れ出し、私を困らせる。

朝子はテーブルにコトン、とコーヒーを置いた。その瞬間、有芯の照れたような笑顔を思い出し、彼女の胸は締め付けられた。朝子はブンブンと首を振ると立ち上がり、コーヒーを流しに捨てた。

のんびりしようとするからいけないのよ。忙しくしていれば、そんなことを思い出す余裕もないくらい頑張っていれば、きっと大丈夫―――。

そうすればいつか消えてくれる・・・この胸の中から、あなたへの愛しさが・・・。そしてやがて綺麗な思い出に変わってくれる・・・。

朝子は流しを掃除しようとしたが、そこはすでに磨き上げられておりピカピカに光っている。彼女はその輝きを恨めしげに睨むと、おもむろに床を磨き始めた。

「これなら・・・・・やりがい、あるわ・・・」

朝子は額にうっすらと汗を浮かべ、ごしごしと雑巾をこすりつけながらエプロンの裾を邪魔にならないよう留めた。

やがて床はすっかりきれいになり、朝子は全身汗だくになった。とても暑い日だ。気温と湿度が高く、動くたびに汗が流れた。

朝子は休まず本棚の整理に掛かったが、古い本棚の扉を開け、何冊かの本を取り出したところでその手を止めた。

『once     作  有沢 昇』という背表紙の文字に、朝子は一瞬ためらったが、その薄い台本を取り出し、開いた。

徴兵され、戦争にかり出された執事ロバート。戦死した彼を想い、アマンダは生涯独身を通した。たった一度だけのキスが、忘れられなかっただけで―――。

高校当時、部長だった朝子はこの脚本を公演することをまったくの独断で決定した。なぜか強く惹かれるものがあったからだ。

でも・・・。朝子は目を伏せ、ため息をついた。結局私は違う男と結婚した。有芯に会って、身体を重ねた。キスだけで、終わらせておけばよかったのかもしれない。そうすればアマンダのように、美しい思い出を胸に、穏やかな気持ちで有芯を愛し続けることができたのかもしれない・・・。

パラパラとめくると、最後のページに大会直前のみんなから書き込みがあった。

“みんなでしっかり! 楽しくやろう  演出:Kimika”

“持てる力を120%以上出してやる!  ロバート:Tomoki”

“集中しましょう!!!  アマンダ:Kaede”

みんなの気合の入った渇の中に、一つだけ気の抜けたコメントがあり、朝子は苦笑した。


“まぁがんばれ  音響:Yushin”


「バカ」

照れ屋。こんなコメントじゃ、嫌われてると思うわよ・・・。

朝子は、気付くとその文字にキスをし、その台本を胸に抱き締めていた。



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